右手に愛を

左手に正義を

惑わすように

鼓動有する胸前にて

運命の女神は嫣然と微笑み

その手を

交差させる

 

〜 シルバーアッシュに接吻を 〜

 

 

 

 

 ケリーアがその深海の色を闇へと紛らすのは、花が眠り、魚も閉じぬ眼をたゆたわす時刻。

 

 カランカラン・・

 

 イエローライトを落とし、ひっそりとしたカウンターの中でただ一人、まばたきすら忘れたようにグラスを磨き上げていた黒服の青年は。

 その音に微かに瞳を揺らした。

 

 

 開かれた、喧噪の街への夢の途切れる場所。

 

 そこから、僅かの雨の香りが海へと流れ込む。

 決して、喉を潤す真水にはなれないと。

 そう告げるかのような、しめやかな音を纏って。

 

 

 その男は、ひっそりと現れた。

 

 

 

「・・やぁ。悪いね、もう終わりの時間も過ぎてしまったようだ。」

 しとどに。

 鮮やかな、この深海でもひときわ目立つ、ファイアフラワーの輝きを宿す髪が、雨を滑らせ、首筋まで淡く発光している。

 背後からのネオンの、ともすればけばけばしい、俗世の香りを色濃く残す光を浴びてすら、その男はひどく美しく、ひどく豪奢に映った。

 

 口元には、あの得も言われぬ甘やかな笑み。

 ふっくりと蜜をふくんだような柔らの声に、扉を支える、細く長い指。

 眦から伝う涙のような雫さえ、ただ彼を綺麗に見せるのを惜しまないようだった。

 

 

「でも、アナタがいてよかった。・・側に行っても・・?」

 

 

 微動だにせず、グラスを磨いていた手をごく自然に降ろしてこちらを見たように思える漆黒の瞳。

 男は、纏った雫をキラキラと輝かせながら、そこだけ照明を淡く残すカウンターへと手を伸べた。

 すると、バーテンダーの瞳が一度きり伏せられ。

 それを了承と取った男は、スルスルと音もなく硬質の海底を歩く。

 

「・・あぁ、すまないね。アナタの仕事を増やしてしまったようだ・・。」

 パタパタと岩の存在しない水底を、透明の雫が。

 濃度の違いを、引力の名残を思い出させるかのように染め上げる。

 

 密やかに。

 凝らした目にも映らぬように、優しく。

 この雨は、そういうものだと、男のスーツの端から離れるのを惜しむような、雨の声が聞こえるようだった。

 

 元は見事な光沢を放っていたであろう落ち着いた色の上着も、相変わらず人目を惹くのが巧いネクタイも、微かに赤の色彩を控えた唇も。

 額にかかる髪ですら、男の濡れた面に色香を添える。

 

 

 

 

「・・ねぇ、ジン?」

 

 

 

 

 ふいに空気が動いた。

 サワリと波がわななき、ザァッと耳元で鳴る・・。

「夜遅くにゴメンネ?」

 無言でグラスに白い布をかけるバーテンダー。

 そんな彼を、とろけるような甘い声で「こっちを向いてはくれないかい?」と男は呼ぶ。

 語尾に、必ず・・いつもそうしていたかのように、物言わぬ、と。

 ほんの数夜前までは呼ばれていた、深海の人魚姫の秘めた名を、愛おしそうに口に乗せて。

 

「でも、残念だな。今日は、アナタに逢えたけれど、喉は潤せない。・・ねぇ、ジン?」

 すまないと言いながらも、そこが定位置だと言わんばかりに。

 碇を降ろした海を行くソレのように、スツールに掛けた男はゆるやかに頬杖などついて。  

 濡れた髪も構わぬ仕草で、こめかみ近くまで届く長い指に目の端を預けるようにして、男は斜めに傾けた瞳で微笑んだ。

 

 誰もが、あぁ、この男はそれがひどく似合うと思うに違いない、完璧な角度。

 

 ・・これで医者などと言うのだから、得体の知れない男だと、キュッとグラスを磨き上げたバーテンダーはようやく視線を上げた。

 

 

「息苦しくなったのか・・?」

 

 シン、とした水面に、たった一滴、青い涙を落としたような声だった。

 

「ううん。そうじゃないよ?・・ただ、アナタがとても恋しいだけ。アナタが・・ジン。」

 

 スルリと男の手が伸び、カウンターの向こうでチラチラとした光を宿した銀髪が揺れるのに合わせ、そっと中指で鋭角なラインを描く滑らかな肌を撫でた。

 慈しむように、やさしく返した、指の背で。

 

「戯れ言だな・・。」

「ふふ。アナタはそう言うだろうね。アナタはジンだから・・。」

 

 楽しそうに言い、男は振り払われない指で、今度は、スルリとバーテンダーの首筋を辿る。

 美しい銀の髪が、柔らかに降りかかる白い肌は、しっとりと濡れた男の指を拒みはしない。

 けれど、受け入れるだけの意思とは取れない曖昧さで、ただそこにあった。

 

 

「・・あぁ、やはり雨には濡れるものじゃないね。少し寒い。」

 

 しばらく、頬杖をついたまま、白い白い滑らかな肌に繊細な動きで爪の感触を伝えていた男だったが、ふいにそう言って。

 クシャリと左の耳殻にオレンジの髪をかけた。

 男にしては綺麗すぎるうなじが見え、心なしか茶色の濃い睫に影が落ちる。

 

「アナタは暖かいのにね?・・ジン、こちらに来てはくれないかい?」

 

 懇願するでもなく。

 媚びるでもなく。

 男は、いつものように甘い甘い、艶を含んだ声で、バーテンダーを呼んだ。

 

 キミだけが恋しいのだよ、と。

 

 まるで囁くかのごとく、耳に残る甘露の声。

 

 バーテンダーが、かすかに首を揺らせた。

 

 

 

「・・嫌かい?それはとても寂しいね。」

 ジン、と。

 離れた熱を惜しむように、男は悲しげに聞こえる声で呟いた。

 

 

 

 

 カタン・・

 

 

 

 

「ジン?」

 しかし、バーテンダーはそれに興を惹かれた様子は見せず。

 ただ、いつもの夜のように、長い指をゆらめかせ、美しい仕草でカクテルをひとつ作り上げた。

 

 一度、綺麗に片付けたものを出すことは厭わないのか、と。

 少しだけ男の表情に浮かんだが、それよりも素直に、「嬉しいよ」と、先程の自分の声を耳に残していてくれた愛しいヒトに、口元に笑みを刻んだ。

 

「アナタは?ジン・・」

 

 グラスを煽る仕草で、男が聞いた。

 黄色の美しい液体に満たされたカットグラスに、ゆるく口を付ける仕草は、ひどく優美。

 チラチラと水滴が、煌めきながら亜麻色にも見える柔らかな肌を伝う。

 控え目に光を弾く、男の笑みは凄みを増すばかりで、まるで大輪の百合が咲き誇るが如く、なんとも言えない甘さを湛えていた。

 すると、ふわりと一度だけまばたきしたバーテンダーは、無言のまま、自分の手元にあったすべてを片してしまう。

 作ることだけが、自分の酒への関わり方だとでも言うように。

 

「・・そう、だったら、いいかな?」

「…」

「いつもアナタはカウンター越し。・・今夜は時間外労働をさせてしまって済まないけれど、こちら側に来てはくれないかい?」

 先程も、明確に「否」とは態度に出さなかったバーテンダー。

 ただ静かに喉への潤いを提供してくれた。

 それは・・

 

「ねぇ・・?」

 

 重ねて問えば、かすかにバーテンダーが首を傾けたように見える。

 それはほんの僅かで。

 ともすれば、ただの波の澱みを払う仕草かもしれなかったが。

 

 

 

 

「キヨ・・」

 

 

 

 

 とろりとした、それでいて静かな水面に響く声だった。

 

 

 

 

 

「ジン、おいで・・」

 

 

 

 

 

 ゆっくりと手を伸べ、男がカウンターの向こう側でどこか惑いの風情で佇んでいるように思えるバーテンダーを導く。

 ライトが落とされ、いつもは青の海が広がっていた筈のカウンターの外へ。

 夜の闇を落とし込んだ、深海。

 ・・怖くはないのだよ?、と。

 優しい誘いの手だった。

 

 

 

 カツリ・・カツリ。

 

 バーテンダーのエナメルの革靴が、一時、男の手を離れ、けれども。

 それがごく当たり前だというかのように、カウンターの終点に一度だけ手を着くと、今度は男の元へとさざ波を連れて戻ってきた。

 

 

「ジン・・」

 

 

 ふわり、と男が腕を広げる。

 指先までがひどく綺麗で、この男にだけ許されたように、それはとてもよく似合った仕草だった。

 

「オレが怖い?」

 

 

 ひらりと手を翻すように波を掻くと、銀髪のバーテンダーは、小さく吐息を零した。

 そして、するりと海を渡るイルカのようにしなやかな身のこなしで、その手を取った。

 長く、そして白い指先だった。

 鮮やかな熱帯の魚達が好む、白い珊瑚のような・・

 

 

「・・オマエの、瞳が・・」

 

 

 オレの眼?

 男は騎士よろしく添えられた左手をゆっくりと引いて、唇を落とす。

 白い手の甲は微かに揺れたが、逃げる素振りは見せなかった。

 それにフワ、と口元に笑みを浮かべ、男はそのまま優しげな仕草でバーテンダーを見上げた。

 

「オレの瞳が怖い?」

 

 男の目は、優しくも甘い色を宿し。

 その澄み切った色の透明度を思えばこそ、畏怖の念を抱かせることもあろうが。

 ただ、ただ、何よりも綺麗な硝子細工のよう、と誰もが讃える美しさ。

 

 

 

「深い・・碧・・してんじゃん・・」

 

 

 

 黒のベストを纏ったバーテンダーは、口づけられた手を取り上げるでもなく、少しの躊躇いを含んだ、空いた右手で男の頬に触れた。

 そのまま確かめるように目元に指を進めると、男の長いまつげが、切りそろえた爪の端を弾く。

 顔を傾け、翳りをやどす瞳を見ると、ゾクリとする、吸い込まれそうな色。

 

 

「うん。・・マリン・ブルーって言うんだそうだよ。」

 

 ケリーアの海に似合いの色。

 深い青は、時に碧にも似た光を宿すという。

 それをそのまま閉じこめたような瞳は、彼の異国の血を告げているのだろうか。

 

 

「この眼が怖い?困ったな、光がね・・当たらなければ、黒にも見えるんだけど・・」

 眼科でカラーコンタクトを頼もうかな、と男が苦笑した。

 硝子みたいだから、光彩は光をあますところなく跳ね返し、日の光の中では、男の目は野生の豹の瞳によく似ている、と・・そう、言われていた。

 だから、それを沈められる、夜の海の匂いが酷く恋しかったのかも知れない。

 

「?・・スゲー・・キレイじゃん?・・別に怖かねぇけど・・」

 

 コトリと首を傾げ、バーテンダーは口を開いた。

 驚いたように男の瞳がふわりと鮮やかに瞬くのをジッと見て、少し顔を寄せる。

 そして、その瞳の中に映る一点の光が集まる中心部に視点を当て、立ったままの体勢で腰を折ると。

 若干、深みを見せる左目に吸い寄せられるように微かに笑ったようだった。

 

「そう?ありがとう。アナタにそう言ってもらえると、とても嬉しいよ。」

 

 言葉通り、嬉しげに破顔した男は、頬に僅かの紅潮を乗せ、そっとバーテンダーの腰に腕を回した。

 そのまま、黒いベストに顔をうずめるようにして男がクスクスと笑うと、バーテンダーは不思議そうな気配を滲ませて、そっと男に髪に手をやる。

 触るとふわふわとした優しい感触を伝える男の髪は、瞳の色に誂えたような明るいオレンジ。

 なぜだか甘い香がするような気がして、バーテンダーはそっと腰をかがめてみた。

 

 

「・・あぁ、ごめんね?今夜は・・雨の馨だ。」

「別に・・」

「?・・あ、違う?・・じゃぁ、もっとゴメン・・無粋な匂いだね、」

 

 

 体に染みついた香は、そうそう取れない。

 いくら誤魔化したところで、それは影のようにつきまとい、消そうとして消えるものでなく、また当人には馴染んだもので・・感せない。

 言われて初めて気づく、現実の名残。

 

 

「医者・・っつってたもんな・・病院の匂いだ。」

 幾分、感慨深げに吐息と共に紡がれた声音に、嫌悪が潜んでいないことに、男はふと顔を上げてみる。

 

 

「病院、嫌いじゃない?」

 そこには、相変わらずの無表情で、ただ男の髪を梳いている銀髪のバーテンダー。

 その瞳が、男とは異なり、仄暗い照明の中、薄い灰色に輝いている。

 

「好きじゃねー・・けど、」

 当たり前だろ、とばかりの答え。

 

「そうだよねぇ。」

「でもよ・・いねーと困んだろ?・・医者ってのは・・」

 

 そう言って、バーテンダーはひどく慎重とも取れる手つきで男の頭を撫でた。

 

 オマエは、大事なヤツなんだろう、とでも言いたげに。

 

 

 

「・・だったら、いーじゃねー?」

 

 

 

 消毒液の、その清潔といえば、そんな記憶も引き起こすだろう香り。

 バーテンダーは、構わないといった言葉通り。

 明るい色に、記憶の波をさらうような香りを纏わせた男が、引き寄せた腰に腕を添え。

 

 トサリと膝の上に抱き寄せたのにも、拒む様子はなかった。

 

 

 

「ふふ、アナタはとても優しいね、ジン。」

 ただ、ジッと水槽の中の魚のように、澄んだ瞳で男を見ている、美しい人。

「フン・・」

 

 微かに視線をずらせたのは、バーテンダー。

 照れ隠しなのか、バツの悪そう色が、瞳の端に見えた気がする。

 

 それを追うように、スッと男は顔を寄せた。

 腕の中に抱いた、ストイックな雰囲気を崩さぬままの、バーテンダーの白い頬に。

 

「…?」

 

 間近に迫った花の顔。

 男が見つめるバーテンダーの白い面も。

 バーテンダーが見上げる男の整った甘い造作も。

 どちらも、陰影の濃い、この空間で見るのがもったいない程の、芸術品。

 触れることが切望される一方、それを怖れる気持ちすら抱かせる、美しい光景だった。

 

 

 青い海にまぎれる、吐息を飲み込んで。

 そっと、影が寄り添うかのように。

 頬を撫でる指が、顎をツイ、と持ち上げ・・

 

 

 波が揺らめく。

 

 

「・・っ・・」

 

「逃げないでね・・?そう・・くすぐったい?」

 

「・・別に・・」

 

「なら、よかった。あぁ、そのまま・・唇は閉じないでいておくれ?」

 

 

 

 

 男は笑って、バーテンダーの薄く紅色を纏う唇に口づける。

 どうして、と問うことも忘れたように、瞳も閉じぬまま、バーテンダーは頬にかかる明るい髪をぼんやりと見ていた。

 

 この男に口づけられるのは、初めてではない。

 ごく自然な仕草で唇が頬に、目元に、そして唇にすら触れたことはあった。

 だが、そこには嫌悪を抱くような感情は見受けられず、まるで気に入りの魚の鱗一枚、物珍しさに触れてみたくなったのだよ、とでも言いたげなものは感じていた。

 だから、拒む必要も感じず。

 男からの、というよりは、この『キヨ』という名の風変わりな客の唇を受けていた。

 

 

「んー…」

 

「あぁ、苦しい?ゴメン、キスが甘くてさ、」

 

 

 言いながら、男はふわふわと唇から離れてキスを降らせる。

 むずがるように、バーテンダーは男の頬に指を当てて、少しだけ吐息を付いた。

 キスは、拒まない。

 優しく触れる、そのキスを。

 

「・・止まらないね。もっとしてイイ?・・ジン、嫌じゃないかい?」

 確認する声も、ひどく甘く。

 掠れたように聞こえるそれは、耳に心地いい。

 だからだろうか。

 不安定な筈の横抱きにされた体を浮き上がらせ。

 

 バーテンダーが、ひとつ小さなキスを贈った。

 

 傾けた顔に目を奪われた男が、思わずクスリと笑ってしまうほどに、可愛らしいキス。

 

 眠りに落ちる一瞬前に、母がそうしてくれるような、薄羽の口づけ。

 

 

 

「ふふ、ありがとう。・・・なんだか、ジンのキスが、一番、イケナイコト、みたいだね?」

 

 

 

 そんな風に言ったキヨの嬉しそうな声に。

 

 

「・・・・・まぁ、」

 

 

 返った掠れたいらえが、あまりに当然のように告げられたが故に、余計に男を驚かせることになったのは…

 

 

「うん?」

 

 

 海王の悪戯か、女神の気まぐれか。

 

 そう。

 あろうことか、ミステリアスなお医者様が思い寄せることになったのは・・

 

 

 

 

 

「未成年、だからな・・」

 

 

 

 

 

 ケリーアの人魚姫。

 人間で言うならば、10と7つ。

 

 

 ・・・・・まだ、学生と呼ばれる年齢の『少年』であった。

 

 

 

 

 

To be Comtinued・・・


 

キヨさん、霧雨じゃ・・な優雅さで夜更けの時間外に襲撃、の巻。(笑)

とうとう、あっくんを膝に乗っけてキスするまでになったキヨさんですが、

思わぬ問題発覚☆

・・ケリーアの人魚姫、実は花も恥じらう、17歳!!

どうする千石センセ、明日はどっちだ!!??

 

 

 

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