掌の銀の鱗はキラキラと
ゆらり
揺らめき
記憶を誘う
今宵も、どうか
良い夢を
〜 シルバーアッシュに接吻を 〜
カタリ。
軽い音を立てて、書類が散乱するデスクの上に、黒光りする万年筆が落下した。
よほど造りの良いものなのだろう。
インクをまき散らすような不満も言わず、動きを止めたそれは。
少しの間を置いて、再び主の手に収まった。
「ふぅ・・なんとか、カタ、付いたかな〜・・」
螺旋状になっている蓋の部分をきっちりと締め直し、男はかけていた眼鏡を外す。
デスクチェアの背もたれに、ズラした頭を乗せるようにして体を預けると、流石に徹夜に慣れた体もキシキシと音をたてた。
細い銀のフレームのついた硝子は、そのままスルリと白衣の胸元に滑り込ませ。
まさに不眠不休、ほとんど体勢も変えないままに書類に向かいっぱなしだった時間も、これでようやく一段落だと、小さな欠伸が漏れた。
「お疲れ、千石。」
整然と並べられたスチール製のデスク群の中、最奥の一机のアームランプが消されたのを見計らったかのように、一人の男が白衣を翻し、隣の部屋からやってきた。
「あ〜、南チャン。ハイ、コレでよ〜やく完成☆」
それにヒラリと手を振って、渡されたコーヒーを受け取りながら、千石、と呼ばれた男は散乱した書類とは別の分厚い紙の束を取り上げた。
「おー、サンキュ。つか、ホント、オマエ仕事だけは速いよなぁ。」
手にした書類をパラパラと繰って、黒髪をツンツンに固めた南という男は笑った。
「デショ?それに出来もナカナカなもんじゃないデスか?」
「ん〜・・そうだな、とりあえず、最初の2・3枚は目ぇ通させてもらうけど、後のは大丈夫だろ。」
厳めしい書式の紙に並んだ手書きの文字をザッと追って、南がそう告げる。
「・・でもさー、マジでおまえ、コッチ来ねぇ?」
「あはは、南チャン、またその話〜?」
笑いながら言う千石に、しかし南は真剣な顔で言葉を続ける。
「まぁな、病院の方がオマエ、離したがらないのもわかるケドさ。ウチも所長が欲しがってんだよなー。」
困ったように首をかきながら南が言うと、千石はカラカラと笑ってみせた。
「う〜ん、オレとしても時間が自由になる、ってのは魅力的なんだけどねぇ。」
「ま、な。一様、公務員だしな。そっちよりは、人間らしー生活できるぜ?」
もちろん、ひとたび要請がかかれば、何日もここに詰めっきりになるということは無きにしも有らず、ではあるが。
「ま、でも今ンとこ、クランケから離れらんないしねぇ、オレも。」
「・・んなこと言ったら、ずっとだろうが・・」
「そうなんだよねぇ、オレってば人気者だから〜?」
苦笑に似た表情が、わずかに覗く。
「っていうかさ?南チャンがココにいる、ってのも不思議なカンジだよね〜?ガシちゃんに言わせれば、オレのがコッチ向き、らしいよ?」
「それはオレも否定しない。」
でも、しょーがねーだろ?と、南。
「ガシちゃんなんかは、ホント、見たまんま〜、なのにね?」
「あ〜、小児科医、か?確かに東方らしいけどな。」
「オレもさぁ、一様、専門決める時に候補に入れてたんだよ?」
「はぁ?オマエが?」
「・・なのにさぁ、ガシちゃんたら、発達心理学の論文見ながら、『オマエは精神界の犯罪者にでもなるつもりか?』て大真面目に聞くんだよ!?
失礼しちゃうよね〜。」
「いや・・なんていうか・・」
「そんで、じゃぁ、どこならイイ訳?って聞いたら、産婦人科と内科は辞めとけ、って言われちゃって、」
「言われちゃって?」
女好き、という噂が常につきまとう千石を良く知るからこその忠告だったろうに・・。
事実はともかく、このひどく笑顔が甘く映る顔と、身にまとう柔らかな雰囲気で、千石という男はよくモテた。
それはもう、学生時代など、コイツの週末のスケジュールが空ということはなかった位に、引く手数多、両手両足、首まで花・・という笑えない状態で。
「そう。言われちゃって、さぁ。だったら、ガシちゃんが「精神界の犯罪者」っていう位だから、『精神科医』になってもいいなぁ、って思ったんだけど、
それも真顔で止められちゃって。」
「・・オマエ、クランケにトドメ刺しそうだかんな・・」
ボソッと有らぬ方向に、呟く。
精神界ならぬ、精神科医の犯罪者なぞ、それこそ洒落にならない。
レクター博士も真っ青、とは誰の言か。
「南チャァン?・・ま、いいや。で、それなら、いっそ脳味噌に行っちゃおうかな?って思ってさ。オレ、頭蓋骨嫌いじゃないしね〜。」
サラリと言い切って。
ついでに言うなら、実習クラスの教授がそちら方面に明るかったことも、まぁ原因といえば原因?と肩をすくめた。
「一様、神経は神経でも、一番、これからが興味深そうだったのが脳味噌だったし。」
「教授も浮かばれないな・・かの総代がこれじゃぁ・・」
「何か言った?南チャン?」
「別に・・?はぁ・・まぁ、千石を小児科医にさせなかった東方には感謝しとくよ。」
お陰で、こんなとこまで引っ張り回せるのだから。
言葉ではなく、表情に乗せた南の心の内が読めたのだろう。
千石は、ふわり、と、ひどく優しげな顔で微笑んだ。
「オレも、南がコッチにいてくれてよかったよ。」
よせよ、と南。
軽い口振りの「チャン」付けで呼ばれているウチは、悪友、という感じなのに。
こうやって瞳を細めて、柔らかな笑顔を向けられると、こりゃぁ職場のナースたちはたまったもんじゃないだろうなぁ、と思ってしまう。
「・・コッチだって、助かってんだ。ギブ&テイクでチャラ、そういうコトだろ?」
ズッと、照れくさそうにコーヒーに口をつける南に、千石は「ふふ、南のそういうトコ、いいなぁ」とあの甘い笑顔を見せる。
これで本人、素なのだから、多大なる誤解を招くのだ、と。
もう人生の大半をこの男の横で過ごしてきた南は思った。
「ハイハイ。でさ、こないだのヤツなんだけど・・」
軽口はここまで。
そう言うように、南がカップをデスクに置いた。
「あぁ、16日の?それとも18日のヤツ?」
ガサガサと散乱していた書類を並べ替え、ファイルに挟み込みながら千石が聞く。
手の中に残るのは、数枚の紙片。
わざと崩したドイツ語がひしめきあうそれを南に手渡すと、「16日」と答えが返ってくる。
「・・ん〜、とりあえず、一通りのことは見たけど、頭部外傷は3カ所。
そのうち前頭葉のヤツが一番ひどくて、これが脳挫傷の・・まぁ、ありていにえば死因だけどさ。」
細かに記録された数値に目をやって、「裂傷・・」「生体反応・・」と南がブツブツ言っている。
「傷口の様子から見て、かなり派手に、しかも一撃必殺、って感じでヤラれてるね。」
「何だと思う?」
「うん?・・南は何だと予想してる?」
「まぁ、『鈍器』って呼ばれるもんじゃないか?」
添付された遺体の写真に、いつまで経っても慣れないな、と苦笑が浮かぶ。
慣れたいとは、思わないが・・いつかはきっと慣れてしまうのが、ここのパラドックスであり・・現実だから。
「そうだね。でも、ハズレ。鈍器じゃないんだよね、」
「じゃぁ・・?」
どこか呆れたような表情が、チラリと千石の瞳に映ったような気がして。
南は、少し不安になる。
・・いくらギブアンドテイクだと割り切ったつもりでいても、ここはひどく血なまぐさいところで。
そうは容易に悟らせたりはしないが、千石という男は・・どこか不安定な印象を幼い頃よりその身にまとわりつかせていた。
・成人を迎えた頃に大学で知り合った東方などは、それを「死神だ」とも表現したが。
もちろん、「死神を懐かせてるとんでもない野郎」という続きがあるのだが。
別に死に急いでる訳でなく、特に厭世味溢れて生きている訳でもない。
なのに、「どこか」、何かを欠いているような・・そんな、わかっていてもどうしようもない『影』を連れて、それでも笑顔を浮かべているのが、この幼なじみだっ
た。
「ケータイ。」
「は?」
携帯・・って、携帯電話か?
「そ。今回の凶器はケータイ。でも、ま、よっぽどだったんじゃない?破片、鑑識サンに回したら、最新機種って言ってたからねぇ。」
おそらくは、両手で機体を握りしめて、ココナッツクラッシュってカンジ?と言いながら、千石は「あ、そうそう・・」と書類の端に何かを書き足している。
「いつの間に・・」
「うん?あぁ、ちょっと用事があってね。ついでに伴爺にも検死報告上げといたから、今頃割り出しにかけずり回ってんじゃないかなぁ?」
クスクスと笑う千石に、南が脱力したように肩を落とした。
なまじ優秀すぎるこの男は、いったいどういうつながりだ!?と思わず叫びたくなるようなパイプをいつの間にか持っていて、南を驚かせる。
「まぁ・・いいか。俺の仕事がイッコ片づいたということにしとく・・」
腕だけは信用しているので、終わったことはとやかく言うまい。
「うん、そういうことにしといて?」
にこっ、と。
千石が無邪気な笑顔で、書類を振った。
「でもホント。南がモルグにいるのって、何かイメージじゃないよねぇ。」
コーヒーも飲み干し。
書類の束をキー付きのデスクの引き出しに入れ、僅かばかりの休息とも呼べないささやかな時間を過ごす場所を、応接室に移した。
「・・だから、それは否定しないって言ってる。」
「もう、南チャン、ホントお人好しなんだからさぁ。伴爺に言われて断れなかったんだろ〜?」
医師国家試験に合格した後、間髪置かずに公務員試験を受けていた南。
「・・わかってるなら、言うなよなぁ。」
ゲッソリ、という顔の南に、千石はメンゴ・メンゴ☆と笑う。
そう、ここは法医学研究室。
監察医務局という厳めしい名前の公共機関であり、日々、変死体の検分を行っている。
「まぁ、とにかく、今回も助かったよ。また伴爺から連絡がいくとは思うけど・・」
「うん。でもさぁ、なんで伴爺って、あぁもタイミング悪く電話かけてくるかなぁ?」
「?・・あ、ひょっとして、今回も?」
「そ。ま、でも、今回は名前も教えてもらちゃったし、悪いばっかりじゃなかったけどね。」
そう言って、嬉しそうに胸ポケットの上に手を置いた千石。
銀色のシックなプレートには、凝った字体で『JIN』と刻まれていた。
おそらく、今まで付けたことがないのだろう。
ひどく真新しいソレは、それでも、懐かない野生動物がおそるおそる少しだけ近づいてくれた証のように思えた。
「ふぅん?巧くいってんだ?」
「どうかなぁ?嫌われてはいないみたいなんだけどね。」
ひょいと肩をすくめた千石。
それを見た南は、珍しいな、と言いたげに首を傾げた。
少し前の、オフが重なった日だった。
多忙、という言葉も裸足で逃げそうな日常を、持ち前の要領の良さで涼しい顔して乗り切っていた千石が、『南ちゃん、ちょっと取引しない?』と持ちかけてきた。
イヤな予感がするなぁ、と笑いながらも、結局、話を聞かされて。
千石の医大随一と言わしめた頭脳と労働時間とを引き替えに、千石の望む日の夜、ほんの1時間程度の自由の確保を約束させられた。
どんな周期で訪れるのかは解らないが、思い出したように「今晩よろしく」と入るメールに、オフ日ならば大量に入ってくる建前上「千石のプライベート用の携帯」
に夜中1時間の行方不明の言い訳係。
勤務の夜ならば、シフトの調整と、当直ならば前後含め3時間程度の「身代わり」の調達を引き受けざるをおえない。
つかみ所のない千石だったから、そのミステリアスな一面を垣間見たコトのある彼の同僚達は、大抵「身代わり」を笑って引き受けてくれたから、コレは問題無し。
シフトの調整も、医長が自分の叔父だったので、大した苦労もない。
学生時代から千石を良く知った人でもあったのが幸いだった。
とりあえず。
ここのところ、千石清純は、ふらりと行方をくらませる。
時間はだいたい夜中近く。
ほんの1時間程度の音信不通状態で、ただ、手放せない仕事用にしているらしい携帯だけが、非常用の連絡手段。
警視庁勤務で、医大で特別講師として世話になった伴爺などは、千石の呼び出しにこれを使っているようだった。
そして、ふらりと戻ってきた千石は、どこか気怠いような、わずかばかりのアルコールの残り香をまとって、医局を訪れる。
ほどなく消えるそれを惜しむかのようにソファで時間を過ごし。
きっかり30分すると、約束の労働・・南の論文や報告書に意見を出してくれる。
この男には、あまり堅苦しい、建前の守秘義務など関係ないらしい。
元から、気づいたときに寒気がするほどに思慮深い男だったから、その点は南も目をつぶっていた。
「まぁ、千石が本気なら・・巧くいくといいな。もっと。」
何はともあれ。
あの何物にも何事にも執着らしい執着を見せたことがなかった幼馴染みの、唯一絶対らしい、譲れないワガママのようだから。
「うん。アリガトね、南。」
この笑顔に免じて、しばらくはスケジュール調整に奔走してやってもいいかな、と思う南でありました。
夜の海への訪れは。
誰にもヒミツにしたいもの。
こうして、王子様は、今日も深海へと赴くのです・・。
To be Comtinued・・・
共犯者は、南くんでした(笑)
千石さんは脳外科のお医者様で、南くんは監察医務局の監察医さん。
伴爺(爆)は警視庁の刑事さんで、アノ手コノ手で捜査協力をさせている模様。
・・とまぁ、こんな感じで、千石さんはあっくんに逢うために時間をひねり出しているようです。
この時点で、まだ南くんは「千石に誰か想い人ができた」としか知らないみたいで。
これからもきっとキヨさんに振り回される運命にあるようです。(笑)
前回あっくんが投げたのは、あっくんのネームプレート。
さぁ、キヨさんがあっくんの名字を聞き出せるのはいつになるでしょう?
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