夜の秘め事は

まるで暴かれることを怖れるように

水面の底で

淡く揺れ踊り舞う

静やかに

静やかに

 

 

〜 シルバーアッシュに接吻を 〜

 

 

 

 

 ケリーアのイエローライトは、こんな夜の街の密やかな目印。

 ふと目に留めた瞬間に、その扉の向こうから漂う深海の静けさに惹かれるように足を踏み入れる惑いの魚たち。

 僅かの倦怠感を纏わせた体を青い水に沈み込ませ、潤いの色を飲み干し、僅かの酸素に縋るように漂い眠る。

 そんな、薄青の世界。

 

 

「やぁ、こんばんは。」

 

 

 ところが。

 そんなどこか曖昧な心地よさを与えるこの空間に、先の夜から不思議な魚が迷い込んで来るようになった。

 

 オレンジ色の鮮やかな鱗を翻し。

 かといって不作法に波立てる訳でもなく、ひどく優雅に青い海を渡ってみせる。

 指先の仕草ひとつが目を奪われる程に甘やかで、ふと浮かべて見せる微笑は拙い呼吸を忘れさせるほどに印象的。

 彷徨いの魚たちの案内人であるホール係でさえ、一瞬そちらに気を取られ、視線が惑う。

 

「いらっしゃいませ、どうぞカウンターへ。」

 

 これで順に追って折った片手の指を、今一度開きなおさなければならくなった訪れの回数。

 それを知ってか、ホール係の声もどこか親しみを込めたようなものになっている。

 

 導かれるまま、今日も上質なソレと解るライトブラウンのスーツを着た男は、ふわりと微笑んだ。

 

 

「ありがと。今日はチーフさんなんだねぇ、」

 

 いつもは銀髪のバーテンダーが、そのスラリとした長身を滑り込ませているカウンター中央。

 しかし、今そこでシェーカーを振るっているのは、日本で言うところのロマンスグレー。

 こちらも、いささか夜の街とは雰囲気を異にする柔らかなものを纏っている。

 

「ええ。予約も今夜は入っておりませんし、どうぞ。」

 

 少し申し訳なさそうな顔をしたホール係だったが、やはり店のチーフならば、勧めずにはおれない良い腕の持ち主なのだろう。

 男は、にこりと微笑んで、いつもの特等席に腰を降ろした。

 

 

 

 

「こんばんは、グラッド・アイを。」

 

 スツールに掛け、ごく自然な様子で瞳を合わせた瞬間、男は相変わらずの間合いの良さでオーダーを出した。

 彼のお気に入りの風変わりなバーテンダーはオーダー表が回ってくるまでは微動だにしないというのに、その紳士と呼ぶにふさわしい鷹揚な雰囲気の持ち主は、男と

同じく波が揺らめくように仄かに微笑んだ。

 

「かしこまりました。・・お噂はかねがね伺っておりますよ、失礼ですが・・?」

 

 シェーカーに手際よくリキュールを注ぎ、そのバーテンダーは微かに首を横に傾けた。

 客に嫌な印象を微塵も与えない深みのある声と、そのどこか人懐こいようにも感じられる仕草に、男もにこにこと答えを返す。

 

「キヨ、で構いませんよ。光栄だなぁ、チーフさん。」

 

 店の華。

 あの風変わりなバーテンダーを抱えながらも、店が今もこの場所にあるという事実が、目の前の紳士がどれほどの客層の支持を得ているのかを告げているようで。

 優しさの奥に威厳を漂わせる彼が・・覚えるつもりがなければ、尋ねる筈のない名前を聞く。

 そんなものなど知らずとも、どうとでもなるのが、夜の街で。

 

 そして、聞かれれば答えるという男も、少し変わっていた。

 

「いいえ、そんな。こちらこそ、皆、ウチの店の者達は貴男のファンばかりで、」

 クスリ、と。

 シェーカーを振りながら、そのバーテンダーはふわりと店内に視線を一巡させた。

 

 そして、いつものあのホール係や、サワサワと店の奥を行き過ぎるボーイ達が、同じく器用にバーを蹴ってスツールを半回転させた男の微笑みに見入る。

 緩く手を組み、小作りな甘い顔がすぅ・・っと笑みを残して又、前に向き直り。

 一種のデモンストレーションのようなそれに、店内が控え目にさざめき合った。

 

「嬉しいなぁ、嫌われてないか心配だったんですよ、オレ。」

 前を向いたと同時に出された、目にも鮮やかな緑色のカクテルをスルリと持ち上げて、キヨ、と名乗った男はイタズラっぽく笑った。

「まさか、貴男のように楽しいお客様をウチの者達が嫌う筈がありませんよ。」

 どうやら、キヨ専属につく気らしいチーフは、そう言うと目尻の皺をさらに深めるようにして優しく微笑む。

「ふふ、騒がせてばかりだから、迷惑かけちゃってると思うんですけどね。特にあの子。」

 スッとキヨが視線を向け、ヒラヒラと手を振った先には、いつも対応に出るホール係の青年が立っている。

 慌てたように、けれど嬉しそうに控え目な笑顔を返す様子は、傍目に見て好ましい。

 どこか子犬のようで、見る者に笑みを誘う。

「いえいえ、あの子も、貴男が来られた日には貴男の話ばかりですよ。・・あぁ、あの牡丹もキヨ様からの贈り物だそうで。」

 チーフが美しいものですね、とこまめに世話が成されているからだろう、この間の訪れの日にキヨが携えてきた薄紅の花が、今日もクリスタルの器に豪奢に咲き誇っ

ていた。

「まだ飾ってくれているんですね、」

「もちろんですよ。・・それに、アレが殊の外愛でておりますもので。」

 

 そう言って。

 チーフは慈愛に満ちた表情で、キヨに微笑み掛ける。

 

 

 

 

 

 

「・・それは、なによりだなぁ・・」

 

 

 

 

 

 そして、ひどく・・

 誰もが見とれて仕舞うほどに鮮やかに顔を綻ばせたキヨが、グリーンのカクテルに口を付けたのは、ほどなくしてだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…?」

 いつものようにボウタイを締め。

 通り過ぎるバックステージの廊下にある鏡の前で、青い牡丹の描かれた筒をスッと口元に引いて。

 銀髪のバーテンダーが、ケリーアのカウンターへと上がった。

 

「おや、もうそんな時間かい?」

 常にはないほどに上機嫌な様子がうかがえるのを、珍しいこともあるものだと、どこか他人事で思った。

 そんな、と言われた言葉に、チラリと視線をカウンターの中央のあたりにやる。

 

 ・・すると、カチリと音がして。

 静かに、オルゴールの旋律とコポコポという水泡の立ち上る音が響き出す。

 これが鳴り出すと、物言わぬバーテンダーが現れる合図になっていた。

 それに、おや、とオレンジ頭の客の目が揺らめくのが、見えた。

 

 

「・・では、とても楽しかったですよ、どうぞまたお逢いできることを願っています。」

「ええ、こちらこそ。美味しいカクテルをありがとうございました。」

「嬉しいですね、貴男にそうおっしゃって頂けると。・・それでは、失礼いたします。キヨ様。」

 

 柔らかな余韻と、そして静かだからこそ肌で感じる威厳の波を残して、チーフと呼ばれたバーテンダーは、バックステージに一礼して去っていった。

 ・・ポン、とすれ違いざま、物言わぬ彼の右肩を軽く叩いて。

 

 

「やぁ、こんばんは。今日は随分と遅いお出ましなんだね。」

 視線をカウンターにやると、あの妙な客がニコニコと笑っている。

 すでにグラスは引き上げられた後なのだろうが、先程も美味いと言っていた様子といい、もう帰るのだろう、と思っていると。

 

「じゃぁ、ゴールデン・タングを。」

 

 呼び寄せたホール係に、男は親しげに話しかけていた。

 

「?」

 ・・いつも、1杯だけカクテルを飲み干すと、何事もなく去っていく男が。

 今日は何事だ、とバーテンダーの瞳がスゥッと細まる。

 

 

「チーフさんも流石だよねぇ、美味しかったよ。」

 

 

 それを器用に読みとった男は、ホール係がオーダー表をカウンターの端へ流しに行くのを楽しそうに見ながら、そんなコトを言う。

「でもねぇ、やっぱりアナタの、飲まないとね?」

 クスリ、とイタズラッ子のように笑い、男は相変わらずオーダー表が定位置に到着しなければ微動だにしないバーテンダーに、頬杖を付いて小首を傾げてみせた。

「…」

 それにチラッと『好きにしろ・・』というような目線が向けられたが、男は嬉しそうにバーテンダーがシェーカーを振るのを鑑賞しているだけ。

 ややして、グラスに白か・・透明にも見える液体が注がれ、最後にマラカスキーノ・チェリーが縁にちょこんと飾られる。

 みずみずしく、熟れた赤を惜しげもなく誇るそれは、見ているだけで楽しい。

 

「ありがと。」

 無言で差し出されるコースターとカクテルグラス。

 それを手にすると、男は珍しく縁に口づけるようにして、2口で飲みきってしまう。

 バーテンダーがそれを見るともなく目の端に納めていると、「ゴメンね、タイムリミット。」と、どこかバツが悪そうに笑って、最後にチェリーをカシュ、と犬歯で

噛んだ。

 

 

 時間がないなら、さっさと行けよ、と。

 言わないながらに視線へ乗せたらしいバーテンダーの気配に、「つれないなぁ」と男が苦笑する。

 

「まぁ、今日は贅沢させてもらっちゃったからねぇ。チーフにアナタに、とても美味しかったよ。・・ありがとう。」

 

 いつかのように、スーツのポケットに手をやった男。

 僅かに見えたのは、携帯の青いライトなのか。

 無粋だよねぇ、と胸元に降ってくる視線をくるむようにして、男は・・この場でそれに手を伸ばしたりはしなかった。

 

 思えば、不思議な男である。

 

 今夜の訪れは確か6日目。

 しかし、やはりというか先の来店はいつだったか、法則性の見いだせない日付だった気がする。

 そしてこんな深夜に差し掛かろうという時間に、急かされるようにかかる電話。

 タイムリミットというからには、もとから解って此処へ来ているかのような口振りで。

 飄々としている癖に、その呼び出しは絶対らしく、立ち振る舞いからはそうは感じられにくいが、片頬に上がる笑みに、僅かの焦燥。

 早く行かねばならないことに焦れるのか、此処を去ることに未練があるのか知らないが、イエローライトをくぐった背中は、その後、掛け出していきそうな気がし

た。

 

 あの見た目を覆す堅物で知られるチーフとかいう男が、一目見てカクテルを出したというなら、なおさら奇妙で。

 

 ・そう言えば・・

 

 

「じゃぁ、おやすみ。今度はゆっくりできたらいいなぁ。」

 片手を挙げ、チェックを促した男がスツールを立つ。

 すると・・

 

 

 

「・・名前」

 

 

 

 深海の、青が揺れた。

 

 驚いた顔をして、ホール係が足を止める。

 また、口を開いたバーテンダーにか、夜の深海で、名を尋ねたことに、か。

 

 ・・男は、

 

 

「うん。まだ言ってなかったよね?・・俺はキヨ。」

 

 

 もっと話してたいけど、時間がなくってゴメン。

 言いながら、男はスーツの内ポケットから、何かを取りだした。

 

 

 

「・・ハイ。じゃぁ、ほんとうにオヤスミ。どうか、心地よい眠りの波を。」

 

 それを、スッとテーブルの上に滑らせると、後はホール係に流れるように会計を済ませ、男はイエローライトへと向かった。

 

 

 

 

 

「キヨ」

 

 

 

 ふいに。

 そう呼ばれ。

 

「なんだい?」

 男が、振り返った。

 

「…」

 

 どうして、名前なんて聞いたのか。

 知ってた、いや、チーフとかいう男が呼んでいたのを先程聞いていたのに。

 

 興味なんてなかった。

 聞いてどうする。

 呼ぶつもりもなかったくせに。

 

 そう、カウンターの中の彼が思ったのかどうは、定かではなかったが。

 

 

 

「・・ありがとう。」

 

 

 

 ヒュッと鋭い音を立てて白い手が翻ったのを扉越しに見た男の。

 伸べた手に落ちた、銀のプレートだけが。

 多くは語らぬ主に代わるように・・告げているようだった。

 

 

 呼んでいいの?

 アナタの名前。

 ここは夜の海。

 名など知られてしまえば・・捕まってしまうよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・・テーブルの上の、薄い青の透かしが入った上質の紙に書かれた文字に。

 銀髪のバーテンダーは、スッと指を添え、喉の奥で笑ったようだった。

 

 

 

 『聖ハリストス教会付属病院・脳神経外科医・千石清純』

 

 

 

 それが、思わず誰もが見惚れそうなほどの、甘やかな匂い立つような笑みを残して、夜に紛れた男の名。

 

 ・・それが、どこまでも不思議なその夜の一幕だった。

 

 

 

 

To be Comtinued・・・


ようやっと千石さん名乗りましたよ!!の巻。(笑)

名前聞いてみちゃったりして、実はちょっとチーフに妬いたりしたんでしょうか?あっくん・・(え・・?)

千石さんは、やっぱりあっくんを口説き方々飲みに通っている(どっちの比重が重いかは・笑)らしいので、とりあえず飲みます。何がなんでも!!

あっくんお手製を。(笑)

そして、さりげに名刺を置いて帰ったキヨさんですが・・・なんと千石さん、お医者様だったのですね!!(←爆笑)

脳神経外科、うわぁvv危なそう!!・・そう悟ったお嬢様方、キヨさんのことをよく御存じで!!(><)

・・とかなんとか言いながら、あっくん、やっぱり貰いっぱなしは気に食わないらしく、銀のプレートを放り投げた模様です。

こちらのお話は、次回、第漆屋でvv

では、どうぞこれからもおつき合い頂けますと嬉しいです〜!!

・・目指せ、バーテンダーあっくん口説き落とし・・!!(笑)

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送