キスは夢見るように
鮮やかで
深海の魚たちも
さわりさわりと揺れたのです
〜 シルバーアッシュに接吻を 〜
攫われたルージュ。
その次の夜から、物言わぬバーテンダーは、鴇色の唇で、ケリーアのカウンターに立つ。
ふつり、ふつりと。
定まった法則などありはしないのか、ごく気まぐれのように現れる客がいる。
こういう店の常か、もちろん名など知らない。
最初の夜、いきなりヒトの前に座り込んだ、ヘンな男。
オーダーは気取りもせずに、ザザで。
何が面白いのか、ヒトの顔を見ては、溶け出しそうな笑顔を浮かべて、こちらばかりを見てやがった。
しゃべるのも億劫、やっつけ仕事なのも相まってそのまま来たら、話す必要もなくなったから、注文通りに作ったカクテルを流す。
繰り返し、繰り返し・・
それが、ここでの仕事。
カクテルの名前さえ告げずに出しても、クレームも来ない。
深海に沈んだ生物の残骸。
たまにサワサワと動きはしても、生きてるとは到底思えない程の活動しかしないホールの中の魚を見るともなく眺めて時間を潰す。
当たり前だからこそ、ひどくくだらなく、つまらない、そしてどうでもいいコトばかり。
そんな中、現れたヘンな客。
カクテルを飲み干すと、ヒトの顔見て、キレーとか抜かしやがった。
どのツラ下げて言い腐る。
そう思ってチラリと視線をやると。
そこいらの水商売のホストよりか、随分と稼ぎの良さそうな顔をしてやがった。
・・そして。
「溺れてしまいそうだね」
耳に残った、その言葉。
息苦しい深海は、日の光さえ届かなくて。
惑う魚たちも、淀んだ目でしか、泳げずにいて。
「・・オマエ」
このバーに来て、始めて唇を開いていた。
・・そんな、ヘンな客が、今夜も来る。
「やぁ、こんばんは。今日は・・ブロンクスを。」
すでに馴染みになったのか。
ホール係も、ごく自然にこの男をヒトの前に誘導してくる。
会話する気のないオレの前には、カウンター中央だというのに、今まで誰一人として座ったことはなかった。
この男、以外は、誰も。
「…」
告げられたカクテルの名に、あぁ、と一瞬、目が男の髪に行く。
明るいライトオレンジの外ハネした髪だけが、今この空間で唯一鮮やかに発色するイロだ。
注文は耳に入っているが、なんとなく、オーダー表がカウンターの内側の端に流れてくるまでは、手を出さずに居る。
かといって、ソレをイチイチ見たこともないが、癖のようなものだった。
スィートベルモットのボトルを引き寄せた所で、男が口を開いた。
「アレ?今日は、口紅してないの?」
不思議そうな顔で、こちらを覗き込んでくる男に、テメーがひっぺがしてったんだろーが、という視線をチラ・・と向ける。
すると、あ、そっか、メンゴ・メンゴ、とワケの分からない謝罪のような、そうでないような言葉を返された。
「…」
シェーカーを構えたところで、男がふと、胸元に手をやったのが見えた。
「アレ、気に入ってくれたみたいだったから、お土産第2弾。」
クスッと笑った男が、何故か癪に障らないのは、他のヤツラのように死んだような目をしてないからだろうか。
ゆっくりとしたストロークに変えたシェーカーを降ろし、グラスに注ぐと、目の前の男の髪と、そっくり同じ色のカクテルが出来上がる。
それを、コースターに乗せてカウンターの上にに滑らせると、ふわりと、そのまま右手を取られた。
「ハイ、コレ。」
視界の端に揺れるグラスファイバーのゆらめくオルゴールとは、まったく違う大きさの包み。
これをコイツが持ってきた日から。
飽きることなく、この店のBGMは、この男が作ったというオルゴールの旋律と、コポコポと、まるで水槽の中か、胎内回帰でも思わせるような水泡の音になった。
「…?」
上を向けて広げられた掌に、軽い感触。
そのままでいると、ゆっくりと箱を包み込むように指を折られた。
「気に入ってくれると、嬉しいんだけど。」
いつかと同じセリフを吐いて、男はやっぱり、溶けそうな笑みを浮かべた。
握ってしまった箱を振り落とすのも何で、離された腕をカウンターの内に引き上げる。
細いリボンのかかった白い箱は、青いライトを受けてわずかの自己主張をするだけ。
気に入らなければ、今度は突っ返しても文句はないだろう。
そう思い、その場で赤いリボンをほどいた。
「どう?それなら、あんまり派手じゃないし、よく似合うと思うよ。」
この間のもイイけど、そっちのが自然だよ。
ふざけたトコを抜かした男が、箱から出しただけで捨てたくなった円筒形の物体を取り上げていった。
白地に、青い線で豪奢な牡丹が描かれた、おそらく一品物。
触ったカンジの重厚さと、繊細さの相反する、けれど見事に調和したバランスに。
何を考えているんだと、と男の指が動くのをぼんやりと見ていた。
「色が白いから、華に付けてるんだと思うから、アナタの場合。」
そう言って、顎を取られる。
薄い桃色が触れる寸前。
男が、あぁ、という顔をした。
「リップブラシがないや・・ま、いいか。」
なんだ、気づいてやがったのか、と。
無理矢理付けさせられていた、マズイ口紅のことを考えていると・・ふわり、と甘い香り。
・・深海の魚たちが、さわさわと、さざめきだした。
「…!?」
ホール係は、驚いて思わず銀のトレーを落としそうになった。
スポットライトのように、青の照明で埋め尽くされた中の、唯一の透明の空間で。
この間から訪れだした、甘い笑顔が印象的な客が、スツールに片手をつけて。
キスをしていた。
あの。
物言わぬバーテンダー、と。
傾けた顔。
緩やかなラインを描く顎が扇情的な角度を保ち、チラリと見えたのはカメリア色の舌。
オルゴールの旋律と、穏やかな水泡の音が混じり合う中、微かな水音。
何度も角度を変えて重なり合う唇。
淫靡というには、どこか神聖で。
口づけ、というよりはあくまでキスで。
赤い舌が、鴇色の唇を色づけていく。
見ている側だけが、頬を染めてしまうような、そんなキスシーン。
「・・ま、こんなもんかな?」
適度に潤った唇を満足気に見て、男はスッとシェルピンクの線を、引いた。
巧く付いた口紅にまた楽しそうな笑みを浮かべ、パチリと蓋を降ろす。
・・件のバーテンダーは、微動だにしない。
それも、背後の魚たちのさざめきも気にしない素振りで、男は明るい髪の色とお揃いのカクテルを3口で飲みきると、スッと手を挙げチェックを促す。
弾かれたようにホール係が歩み寄ると、クスリと男。
ホール係の赤くなった頬が、おかしかったのだろう。
こういう店で、表情を露わにする者も珍しい。
「あ、」
「いいから。波立てちゃって悪いね、だから。」
レジに行くまでもなく、さりげない仕草で紙幣を手の中に滑り込ませ、男はホール係に笑みかける。
深海の魚たちは、珍しい魚に敏感で。
色鮮やかなその魅力に、憧憬の思いを捧げている。
「じゃぁ、よかったら使って。・・ごちそうさま。」
そう言って、男は。
去り際にひとつ、バーテンダーの白い目元にキスを落として、深海を出ていった。
ローズグレイのスーツが、イエローのライトに映えるのを。
誰ともなく、見送った。
To be Comtinued・・・
あっくん、襲撃される、の巻。(笑)
千石さん、ついに行動に出ました!!
周りのことなどおかまいナシvv
ここの亜久津さんは、殴ったりしません。(爆)
ただひたすら無言で、無気力・・???
いつか逆襲すると思います。(え?)
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